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あなたへ還すアート
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夢想的な理想
芸術について。
行き着くところは人間の嗜好や趣味、解釈に偏る世界のような気がする。(マイナーの条件) それでも発信する人間は沢山いる。 たまに色々問題が見え出すと、発信する意義はあるのかと考えてしまう。 しかし本質を信念とし歩み続けるならば必ずや道は開かれるであろうとも思う。 知性と教養は比例せず知識は人格を持たないという言葉がある。 これを如実に体感する事があった。 知識が多分にあれば教養が下回っていても成り立つ会社は多々ある。 私は上層部ほど教養のある人間がいるのかと思っていたらそうでもない事を知った。 逆に、教養のみで回る世界は貴族の集まりか何かだろうか。 知識と教養が美しく融合した世界はどこなのだろう。 そこがアートの世界であったならば、こんなに素敵な事は無いと思う。 Luna ビジョンを芽生えさせるには
正月の新聞に掲載されていた対談(産経新聞)から抜粋させていただく。
建築家の安藤忠雄氏と、落語家の桂米團治師匠が対談しており、テーマは「大阪に元気を取り戻すには」だ。もちろん大阪は日本の一部のため、現在の日本全体にも当てはまる話しが含まれている。興味深かったのは、以下の部分である。 安藤 活気ある社会をつくろうと思えば、創造性が豊かでなければいけない。創造性というのは、何も芸術家や建築家だけがもつものではない。日々の生活のなかの小さな知恵の積み重ねです。かつて農業や漁業をしている人たちは年収は低くても、仕事に誇りをもち、「自分たちはこう生きる」という価値観をもっていた。こういう価値観がなければ、自分たちの社会をどうするかというビジョンは芽生えません。 引用した安藤氏の二つ目の発言は個人的には賛同できないが、一つ目の発言には頭が下がる思いがする。創造性は日々の小さな知恵の積み重ねで養われること。そして誰もが「自分はこう生きる」という価値観を持ってはじめて、社会がどうあらねばならないかというビジョンを描けるということ。 多くの情報があり、それらに容易くアクセスできるがゆえに、考えること=工夫する、ことが少なくなっている。 どうだろう。 インターネットにアクセスするのを少しだけでも止めてみて、その分を考える時間にあててみてはいかがだろうか。 だいじょうぶ。 そうたやすく情報はなくならない。少なくとも時間よりは。 - Luka やるべきこと
年末に作家のなかひらまいさんとお話を致しました。
話した内容について開示するのは早いと思うのですが、比喩すると良い方向へ航海するためのオールを持った人が出てきたねということ。 私の感覚では、あと2年は気がついた今の世代が土台を再度作り直し、次世代へ繋ぐ行為をしてゆく役目があるように思います。 大事な時期です。 種は蒔かれました。 あとは一生懸命育てねばなりません。 -Luna 現代アート・現実的な状況
現代アート界隈は色んな方法を付け加えてアートを身近にしようと頑張っていますよね。
・お祭りで集客 ・WEB販売 ・身近なものと合体させる(服、食器など) etc… アートについて、国民に“自発的な関心”が希薄なのでこのような働きに出ざるを得ないようです。 私自身も作品展示などを致しますと見てくれる方はいらっしゃるのですが “飾る場所が無い”と仰るのを聞いたり、そう呟いておられる言葉を離れた所から聞いた事があります。 または他の作家側からもそういう経験があると情報が来ています。 物理的に飾る場所が無いとは100%言い切れないはずです。 予め飾るという意識の方が希薄なのでしょう。 私の部屋には12枚の絵を飾っています。 飾った事によって部屋が明るくなり、自分の大好きな空間になりました。 好きな空間を作る事は主体性の確立にも繋がる筈です。 今日本人が病む理由の一つに主体性の拡散が挙げられると思います。 根本的には愛の渇望が理由ですが、それを反らす前向きな逃げ道を作る事をして欲しいです。 その先にあるものがアートであって良いと思うのです。 あるギャラリーディレクターは、 「先人達がアートの買い方や飾り方を伝えて来なかった」 と仰りました。 振り返ると、その通りだとおもいます。 これからは解りやすく「飾る前、飾った後」の部屋写真などを持って歩かないといけないかもしれません。 購買意識を促すのではなく窓口を作ってあげる作業からが現実問題必要なのです。 -Luna 再び土壌を耕すとき
古くから日本人は農耕民族であった。島国かつ国土の狭さから河川や海、山間部も近く、緯度がそれほど高くないために生物も多く、遊牧や狩猟よりは農耕が適した環境だったのであろう。
分け与えられた農地で作物を育て、収穫の豊穣を祈ったり、大漁を祈願するという自然・気象現象と密接に関連した生活の中での祈りは、明日やそう遠くない未来の生存を願うささやかなものだった。 しかし、この数十年、日本では農林水産業が衰退してきている *1)*2)。 第三次産業へのシフトと言ってしまえば、それまでではあるが、生活に必要な農林水産業によって得られる生産物を「金で買えばよい」と輸入に傾倒し、国際的な競争力(割高な国内の生産コストが要因だろう)低下を招くとともに、産業自体の衰退に拍車をかけることになった。 また、温暖かつ湿潤な気候は、四季の変化、緑豊かな自然に恵まれた風土を形成する。その中に生きてきた日本人は、森羅万象は神々によって生み出され、それらを神々が司っていると考えてきた。木々はもちろんのこと、岩や石などにも「紙が宿る」と考えていた。 唯一の絶対神よりも、自然界に存在するであろう八百万の神と自分たちはともにある、という多神教的世界感が醸成されるのは、農耕民族の実生活と深い因果があり、より実感を伴った自然な信仰(神道*3)であったはずだ。 しかし、このような信仰が現代日本では、失われつつあるように感じる。 地球温暖化問題が深刻化する中、エコやロハスといった「ライフスタイル」が流行期を過ぎ、一部で定着しつつある。しかし、これらはどこか浮ついていて、地に足がついてないようにも感じる。 もとより日本人は、先述したように太古より、この豊かな自然と深く関わり合いながら共存してきたはずだ。この長い間で培ってきた「共存の思想の背景」をないがしろにしたまま、「ライフスタイル」としてのエコが長続きするのであろうか、と私は思う。 そして、こうした「共存の思想の背景」をないがしろにした「ライフスタイル」という構図は、日本の現代文化についてもあてはまるのではないだろうか。 いま新しい文化が育つための土壌としては、日本社会はあまりに荒廃している。 社会を土壌、現代文化をその土壌に実る植物にたとえると、さながら人は土の粒、「共通の思想の背景」は養分である。 しかし、これだけでは植物は養分を吸い上げることができない。 水や空気のように、土の粒と粒の間を縦横無尽に動きながら浸透し、土壌にある成分を植物の根に運ぶ役割を果たすものが必要だ。 それが、アートだ。 アートを生み出す作家は、「共通の思想の背景」を知ってはじめて、こうした働きが可能になる。 いまわたしたち日本人は、気づきはじめている。 そして、われわれ Re:444は始める。 「共通の思想の背景」を知る作家としてのアートづくりを。 また始める。 古来よりこの土地に生きてきた人々がそうしてきたように、 再び新しい日本文化が育つよう、再び土壌を耕すことを。 - Luka *1)総務省統計局データ http://www.stat.go.jp/data/nihon/g1607.htm *2)農林水産業生産指数は、個別農林水産物の生産額ウエイトを媒介とし、基準時を100とする。生産水準を表す数量指数として、農林水産業あるいはその各部門の生産活動の消長を総合的に表し、生産量の動向をマクロ的に示す指標として作成した加工統計である。 *3)神道 神道は太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つ宗教。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93 |